次の音は、思わぬところに埋まっている。

思い出したように更新したりしなかったり。

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絆を信頼できないゆえ 

エチカの鏡で西原理恵子が出ていたので見てみた。途中から涙が出て止まらなかった。
周りから見て不幸だと見なされているような自分の境遇にたいして、西原さんは全て「しょうがない」と言った。それがただ悲しかった。何故だかは上手く言えない。




西原作品は基本的に全て実体験をもとにして描かれている。知り合いの1人は西原作品の「ぼくんち」を読んで「怖かった」と言っていたけど、俺はあの最底辺のエグい生き様が描写される中で、そこにこめられた悲しさがひしひしと伝わってきて、泣いた。他の西原作品でも、随所にそういう箇所がある。泣かせようと意図した漫画や本とは訳が違う。




あの作品群には飾りのような言葉はない。一方世の多くの本や漫画、ドラマ、映画には、こっちがしらけるほどのボケみたいなセリフ、心にえぐりこんでこないヘボいストーリーが用意されている。全部が全部そうとはもちろん言いませんが、社会の共通項として認識されているようなことをぬけぬけと、さも重要そうにもったいぶって言うような作品は、もう願い下げです。

社会通念に反するようなことでも、そういう視点もあるのか、と感じさせてくれるような言葉やストーリーの方が、はるかに心惹かれます。それから、実際に体験した上での意見。西原さんの亡き夫である鴨志田さんは、重度のヤク中とアル中を経験し、戦場でたくさんの人たちを見てきている。そういう人が語るマヤクや戦争の方が、ぼさっとイスに座って論説を繰り広げる評論家なんかよりも説得力がある。マヤクやってない人間に「クスリはいけない」なんて言われても、ハッキリ言って腹立ちます。




例えば、「人はひとりでは生きていけない」とか、「絆が大事」とか、正直言ってイラっとします。

それはなんとなくそうかもしれないとは思います。ただ、その実感は俺にはありません。
誰かに承認されているような感覚とか、存在していてもいいという確固たる自信というか、自己肯定が最終的に出来ないままでいます。(今「わたしを認めよ!」を読んでいるので、それに関する言葉がちょいちょい出ます多分)

別に家族に見捨てられているというわけでもないですが、自分の考え方は無視されているように感じてなりません。無理解と言ってもいいかもしれません。なんにしろ、俺が誰からか「承認」されているような感覚はあまりないんです。

「気付いてないだけで、ちゃんと親は愛してくれてるよ」なんていわれても何の救いにもなりません。それに気付くことが出来ない限り、承認されていないのと大して変わりないです。そして俺の親も承認されて育っていないので、俺に承認されたいという節もあります。無理です。

最悪なのは前述の言葉に加えて「だから親には感謝しないと」といわれること。俺はこれで俺の存在を否定された気分になります。納得できない状態で感謝を強要されることほど救えないことはありません。それはそう言われた人の心情を無視しているとしか思えません。

付け加えると、「承認なんていらないじゃないか」という意見も、承認を感じられずに苦しんでいる人にとっては、最低の言葉だといわざるを得ません。相手の心情を汲み取れていないという点で、相手の否定にもつながっていると思います。人によっては何の希望も持てない言葉です。




だから家族愛や仲間の絆をテーマにした作品は見ません。そんなものは信じられません。

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