次の音は、思わぬところに埋まっている。

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現代のマスメディアはマルチパラダイムを怖れる必要があるか 

タスキモンガラのハワイ名は「フムフムヌクヌクアプアア」だそうです。気が抜ける気が。




電脳コイルはちまちま見てるけど、15話くらいからずんずん面白くなってきて、続きが気になってしょうがない。でも見出すとやめられないのでほどほどにしてます。この世界観完全にツボです。こんなん小学生が見てもわからんやろうなー。コンピュータの基本的な用語を知ってないといまひとつよくわからんやろうし。




でタイトルの話題ですが、テレビとか新聞とか、今まではパラダイム(拡大解釈的用法での「認識、枠組み」の意)を構築する立場だったメディアは、インターネットとかの普及によりマルチパラダイム化(枠組みの多様化)が進み、好みや価値観の多様化が起こったため、どこも苦境に立たされているわけです。それはマルチパラダイムのせいではなく、マルチパラダイムへの対応が遅れ、未だに旧世代のパラダイムにのっとって(しがみついて)事業をしているからに他ならない、ように見えます。

生活スタイルの多様化、情報入手手段の多様化、旧来のパラダイムによらない娯楽の増加。にもかかわらず、既存メディアは20年前と基本的に何も変わっていない。基本的にパラダイムが多様化、細分化されるなら、各パラダイムに特化した小規模なメディアを多数構築したほうが、効率がよく無駄がないと思いますね。新聞の記事とか、全部読んでますか? 必要がないもの、興味がないものはあまり読まないでしょう。そもそもすでに、新聞に不要な記事が多すぎると思っている人は、新聞なんて読んでない筈です。

よく新聞紙面では、「新聞は必要か」というアンケートを行ったり(誰に聞いたのか90パーセントが「必要」と答えてたりする)、新聞のここが優れた点だ、ということを識者を集めて紙面討論したりしています。あれを見るたびに、いつも気持の悪いものを感じるんです。識者っつっても、新聞で利権を得ているような人種ばっかり集めても意味ないやん。アンケートだって、高齢者とか富裕層を狙い打ってんじゃねの。

あんなことをやっていると、新聞がどんどん見放されていくということを自覚できずに状況を悪化させ、やがて駄目になってしまうでしょう。彼らは、なぜ部数が減っているのか理由がわかっていないのか、それともわかってるけど見て見ぬふりをして、今までどおりのパラダイムにのっとった販路拡大を試みようとしているのか。どちらでも駄目になると思います。

前述した紙面討論でも「興味のある情報ばかり見ていると偏る」みたいな意見もよく出ますが、それは一面では正しいものの他面全く問題にならないことです。情報や価値観が偏っても、大半の人にとってそれは問題になりません。むしろ、不要な情報にまで眼を通すほうが、資源(時間など)の無駄というものです。より複雑化する世界でうまく立ち回るには、多すぎる情報の排除機構がないとつぶされます。そこらへんのことを言わない。

また「興味のある情報ばかり見ていると偏る」というのは、「新聞読んでると満遍なく情報が入ってくる」ということをいいたいんでしょうが、そんなこともはや通用しません(特に若い人には)。彼らマスコミは明らかに物語を構築しようとしています。利害関係のある企業でしかない彼らにとって、情報のバイアスがかかることはわかりきっています。もう気づき始めています。

テレビが「一億総白痴化」の機械だと批判した大宅壮一は、残念ながら正しかった。ただしそれは想像力や思考力を低下させ、作られた物語に流されるようになったという意味でだけであり、大宅が言うような、書物から能動的に内容を理解するべきだという主張は(少なくとも現代では)意味を為さない。実際本を読んで「ああそうなのか、なるほど」と鵜呑みにしているだけでは、テレビや新聞を見て情報を得るのと大差はない。娯楽小説と娯楽番組の差があるというものでもない(別にそれは、娯楽を否定しているわけではない)。

問題は、情報を噛み砕いて自分の中で「独自の」意見を持つことが出来る人間が少なすぎる、ということ。もっともこれは、近代社会では必要ない(むしろ不要な)能力だったかもしれない。でも今はそっちを必要とする傾向ばかり先走って、それを醸成する土壌がなかなか整わない。学校教育なんていかにも近代的なままで、実力主義社会向けの人間は突然変異的に発生するだけにとどまるでしょう(もっとも、そういう突然変異は往々にして敬遠される)。

じゃあインターネットはいいかというと、そうでもない。ネットも一億総白痴化に一役買っているとしか思えない。ネットは人々への情報提供手段をより効率化したことは確かだけど、その情報の質というか情報を受け取る側の能力が全く未分化だから、そういう人らが、古臭い既存メディアとは違うインテリジェンスなパラダイムの中にいるんだぜと錯覚し、酔ってしまっているように見える。実際、情報を受け取った後の個々人での反応は、既存メディアから情報を受け取ったときと大差はないんじゃなかろうか。単にテレビや新聞よりも多様な価値観での意見を取り入れられるというだけで。それだけでも結構大きいけど。

インターネットはパラダイムシフトをじわじわ起こしつつ、そのパラダイムに多くのパラダイムを内包している。そしてその内包されたパラダイムの多くは、本質的にテレビや新聞のパラダイムと同じだったりする。そういう多くのパラダイムから情報を得られるため、ネットに通じている人は、より偏りのない、より興味のある情報を得ることも可能になる。しかしそれだって、テレビや新聞から情報を得ているのと同じ情報処理をしていては、結局白痴への道を辿っていることに変わりがない。せいぜいより便利なテレビ、より自分向けの新聞を得ただけのことに過ぎない。それはインターネットの限界というより、「現在の」人間の限界であるかもしれない。

というより、さっきも書いたとおり、別にみんながみんな白痴で困るということがないのかもしれない。無理やり「脱白痴」する必要がないというか。そりゃ「君それじゃ白痴じゃないか」なんていわれて気分いいわけはないと思うけど、別に情報を鵜呑みにしても死ぬわけでもないし、普通はクビにされるわけでもない。白痴でも白痴の楽しさに漬かって生きることも出来るし、そんなことを問題にするのは、評論家とかくらいかも。

まあ俺は白痴になりたくないので(なっても楽しくなさそうなので)、本質的に白痴の人間と喋ってると、個人的にはなんか消化不良になります。なので、できたら白痴じゃない人がもっと増えて欲しいな、とか思います。一応補足しとくけど、ここで言ってる「白痴」は「一億総白痴化」の産物としての人のことです。

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