次の音は、思わぬところに埋まっている。
思い出したように更新したりしなかったり。
用意された感動
2008/08/22 Fri. 21:55
人の作ったものをただ見たり聞いたりすることは、言うなればすべて人が作った感動を受け取っているだけともいえる。別にそれが悪いことだとは微塵も思っていない。それを否定する気もない。
作る以上は、誰かに感動してもらわないと意味がない(もちろん感動というのは泣く、笑う、鳥肌立つ、何かを感じること全てを指す)。
しかし用意されたもの全てに感動できるわけもなく、特に世間と自分の価値観に開きがあれば、用意された感動が自分のためのものでないことのほうが多くなる。
これは仕方ないことだけど非常に腹立たしい。
自分の好みにあったものに触れにくいということと、自分の好みに合わないものをプッシュされて不愉快になるという二点において。
マイナーということは、CDならレンタルできないどころか廃盤で入手困難だったり、コンサートやライブも数少なかったりする。映画や映像のDVDでも同じ、加えてテレビ放映されないなど。本なら在庫僅少ないし絶版、絵画なら画集もなかったり高価だったり、展覧会も滅多にないということ。
別にマイナーだから好きなんじゃなくて、好きなものがたまたまマイナーというのは、実にやり難い。
インターネットというのは、多少なりとも現状を打破してくれたとは思うけど、まだ完全とはいい難い。
というかそもそも、あれもこれも手を伸ばすようになるとお金がかさんで困る。
お金がないからこの作品に触れられない、というのは非常に悔しい。
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カテゴリ: 雑記
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コメント
作品って「感動させる」ために作られてるんでしょうか?
作者は何かを「伝える」ために作っていて、
私達がそれを受け取って勝手に感動しているだけな気がします。
だから素晴らしいものに出会えたら
良いものを見せてくれてありがとう
と、ただ感謝があるだけです。
ikumix193 #- | URL
2008/08/23 10:59 | edit
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