次の音は、思わぬところに埋まっている。

思い出したように更新したりしなかったり。

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頻度が高いぞここんとこ 

いつくらいから感情が平坦になり始めたのか、はっきりとは覚えていない。きっと2年位前からだと思う。一時回復傾向にあったものの、かりそめだった。

といっても、ここ何年かの感覚的、思考的な変化は、意識できる部分だけでも結構大きい。顕著なのが、熱意や感動のエリアが減衰方向にシフトしていること。熱意や感動を引き起こすのに必要になるエネルギーは増大しているくせに、熱意や感動の絶対値は小さくなっている。感動や情熱が薄まってきた。感動のために代償を払いたくなくなるほどに。当然、この状態はつまらない。面白いわけがない。感動のためにエネルギーを割かないんだから。


あと、心を動かすものが定型化し、それにそぐわないものに対する感性が鈍る一方。ヤバいこれ老化やん。若い頃に好きだったものと、それに似たものばかり求め、新しい感性を取り入れられなくなるというガンコジジイ的興味回路。これは音楽や芸術についても例外じゃなくて、明らかに感動レベルは落ちてるしジャンルも狭まりつつある。まだ今なら間に合うかもしれないし、手を打たないとマズイ。


例えば旅行とか全然興味ないけど、このまま興味ないままあと5年くらいしたら、より興味なくなる気がする。楽しみを見出すためには、楽しみを見出す訓練がいるんだろうけど、そんなもん経てこなかったしね(面倒臭いと感じることばかりだった)。「旅行は楽しいもの」という価値観というか感性を持てず、より遠ざかる。他の多数のことに対してもそれが同時進行している気がする。ひょっとするとそれが大人になることなのかもしれない。でもそんな大人より、好奇心や興味を常に強く持つ大人でありたいと思う。そりゃ興味とかを絞り込んでそれに注力するほうがうまくいくだろうけど、どうもそれがなじめない。


ただし問題なのは、こういう興味減衰状態へのシフトが、おそらく自衛的な動きとして起こったものであるということ(ここを書くためにこの記事を書いている)。いろんなことに興味や好奇心を持ち続けるということは、そんなに簡単なことじゃない。すごいエネルギーと時間を消費する。それが空費と感じられるようになると、そのエネルギーを節約する方向に走るはずだ。その結果として、感動も熱意も薄い、ひとつの人間が形作られる。これは適応の一種であろうし、そういう生き方を否定することはしたくない。戦略の違いなのだから。

といっても、戦略といっても、今の好奇心衰退状態へのシフトは、自分で選んだという性質のものでもない。その状態に陥りつつあるということに気づけなかった自分の怠慢があるとしても、それのみが原因とは言いがたい。そもそも好奇心や興味が満たされることのほうが少なく、感動や精神的充足を得ようとしても得られなかった体験が積み重なった結果、得られないものを求めなくなっていったんだと思う(それもおれの間違った努力のせいだったろうか)。特に人間に対しては淡白になった。

得られないもの、得られるかどうかわからないものに対して力を注ぎ続けるのは難しい。しかも目的が具体化しない(具体化させない)おれの場合、求めているものがなんなのか、どうやったらそれ(もしくはそれに近いもの)が得られるのか、ハッキリさせることも出来なかった(物質的な問題じゃなく)。

でおそらく2年ほど前に、諦めようと、あまり多くの力を注ぐのをやめようと、どのみち手に入らない可能性の方が高いし(そもそも何を求めていたのかわからないし)、やみくもな力の空費をやめようと、そうしないと心身ともにもたないと、ゆるやかに判断した(と、ひるがえると思う)。


そうはいっても完全に諦めきれる筈もなく、もしかしたら何か得られるかもしれないと小規模な抵抗はしていた。当然ダメだった。近場の防波堤にチャリで行って、どこでも手に入る竿と針に適当な餌をつけて投げても、遠洋を泳ぐカツオなど釣れるわけがない。


だけど、ライフジャケットを着て、沖合いに船を出して、頑強な道具をそろえて、荒波の中に針を投げ込む、それだけの力がおれにはなかった。いやあるいは、狙いがカツオだとわかっていれば、少々無理して行ったかもしれない。だけどおれはそこまで力を注ぎ込んで、何を狙うのかすらわかっていなかった。「とりあえずどこかにいるかもしれないすごいらしい魚」を釣るために、自分の身の丈を超えた力を注ぐ人間はいないだろう。しかもそもそも魚に興味がないとすれば、それこそ全ては力の空費に他ならない。


きっとありあまっているだろう好奇心のぶつけどころがわからないし、「とにかくなにか面白いもの」を探すのにもう疲れている。だったら好奇心を作動させているエンジンのキーをひねって、運転を止めたほうがガソリンを空費しなくてすむというものだ。アイドリング状態でほっといたり、これといって目的もないのにそこらへんを走り回っていると、すぐガス欠になってしまう。しかもおれのガソリンスタンドは半分壊れてるみたいで、何かうまいことガソリンを補充できない。誰かがガソリン積んで持ってきてくれるわけでもないし、貯蓄分のガソリンもつきかかってる。


そうなると仕方ないから、感動のレベルをさげるほかない。いちいちいろんなことに感動してると、疲れる。ガソリンを補充できないのに使いまくってるわけにもいかない。最低限のエネルギーレベルで、なんとか完全に運転を止めないように維持している。そしていつも、おれのガソリンスタンドのタンクに残ったガソリンが、そろそろなくなるんじゃないかとびくびくしながらすごしている。


きっと充足に結びつかない熱意や情熱を持ち続けて、ガソリンをあるだけ空費していたとすると、もうすでにおれは完全に運転できない車になっていたと思う。そうなればスクラップだったろう。また鉄の塊に戻って、とっくに別のものになっていたことだろう。都合よくまた車にされるとは思えないし、きっとクリップとかだ。

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カテゴリ: 雑記

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